2010年3月 1日
テニアンの戦い
テニアン島は第一次世界大戦後、日本の委任統治領となり、第二次世界大戦前は多くの日本人が入植し、砂糖黍栽培などに従事していた。一方、この島の戦略的価値を見出した日本海軍は同島に飛行場を建設。当時南洋最大といわれたハゴイ飛行場が完成する。
そして戦争が勃発し、ギルバート諸島、マーシャル諸島を攻略した米軍は日本本土爆撃および内南洋における日本軍の海上、航空兵站線を攻撃する基地を確保すべく、1944年6月、マリアナ諸島攻略計画を発動させた。
一方、日本軍は同島のハゴイ飛行場を航空基地として使用していたが、陸上兵力が少なかったため。満州の遼陽から陸軍第50連隊(連隊長 緒方敬志大佐)を移駐させた。
6月19日、20日のマリアナ沖海戦で日本機動部隊を撃退した米軍は7月8日、サイパン島の攻略を完了、それに続いてグアム島、テニアン島の攻略を開始した。
1944年7月24日早朝、米軍は第2海兵師団の上陸用舟艇100隻以上を島の南西部、テニアン港前方に一斉に前進させた。しかし、米軍上陸部隊が海岸から200m程に接近した瞬間、一斉に重砲が攻撃を開始。米軍を撃退した。
また、日本軍の海岸砲台は戦艦コロラドに22発の命中弾を与え、駆逐艦ノーマン・スコットも命中弾を浴び、艦長以下多数が死傷した。しかしこれは米軍の陽動作戦であった。
7時頃、米軍第4海兵師団はLCVP(ヒギンズ・ボート)、LVT(水陸両用装軌車)からなる上陸用舟艇約150隻で、陽動作戦のため手薄となった北西部のチューロ海岸に上陸した。水際に配備された第3中隊と海軍警備部隊は、米軍の砲爆撃と水際の戦闘のためほとんど全滅し、米軍は日没までに第4海兵師団主力と第2海兵師団の1個大隊、さらに山砲(75ミリ曲射砲)4個大隊を上陸させた。この上陸での、米軍死傷者は240名(うち戦死15名)であった。
そして、24日の深夜に日本軍による反撃が開始されたが、米軍の猛烈な弾幕射撃と照明弾による妨害により、日本軍の進撃が遅れた。それにより、調整の取れない攻撃を行い、約2500名にも及ぶ損害を受けて反撃は失敗に終わった。 この攻撃で、第50連隊第1大隊、同第2大隊、第135連隊の第1大隊長は戦死し、戦車は4両を残すだけとなった。
日本軍の攻撃を撃退したアメリカ軍は、25日、第2海兵師団の残余を上陸させ、南下を開始した。日本軍は新防衛線を構築するとともに、民間人の中から16歳から45歳までの男子、約3500名を集め民間義勇隊6個中隊を編制し、戦闘に協力させた。だが、7月30日までにアメリカ軍は防衛線を突破し、テニアン市街を占領した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
テニアン島での日本軍とアメリカ軍の戦闘をこのように言います。
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